6月3日あいつ今の石原良純の同級生は東京五輪委員会・戦略広報部長の鈴木徳昭とは?
こんにちは、 2020年6月3日(水) 19時00分~19時54分 のあいつ今何してる登場の 慶應幼稚舎〜大学出身・石原良純…中学時代サッカー部で一人飛びぬけた実力で部内を仕切っていた同級生!「日本にもプロサッカーリーグが出来る!」と40年以上前に豪語していた彼だが…その後“ドーハの悲劇”時代の日本代表オフト監督の通訳になったという噂が!現在を調査すると…なんと国家的プロジェクトの“歴史的瞬間”に立ち会った超すごい人に! ということで、どんな人か気になり調べていきましたら・・・ 元サッカー日本代表監督のオフト監督の通訳を務めていた鈴木徳昭さんということがわかりました。 【あいつ今何してる?】石原良純の同級生の名前は鈴木徳昭さんとは? 名前:鈴木徳昭(すずきとくあき) 生年月日:1961年12月3日 大学:慶応義塾大学 鈴木徳昭さんは、これまでサッカー日本代表の通夜や東京オリンピック誘致やPR担当など様々な役職を務めてきたそうです。 また、「日本にも絶対にプロサッカーリーグができる」と予言し見事的中させた方でもあります。 慶応義塾大学卒業後は日産自動車に入社、、そこでサッカー部を教え、そののちに運営強化担当という役職についていたそうです。 鈴木徳昭さんは慶応義塾大学の付属中学であの石原良純さんと同級だった方で、これまでサッカー日本代表の通夜や東京オリンピック誘致のための国際PR担当など要職を務めてきたエリート中のエリートなんですね。 日産自動車サッカー部(にっさんじどうしゃサッカーぶ)は、かつて存在した日本のサッカークラブ。日産自動車のサッカー部として1972年に創部した。呼称は「日産」。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)所属の横浜F・マリノスの前身となったクラブである。 石原良純さんによると中学時代からスポーツが好きで、サッカーの実力はチーム一だったんだとか。 そしてまだJリーグがなかった当時から「日本にも絶対にプロサッカーリーグができる」とその後の未来を予測するなど、かなりスポーツ界に強い興味を持っていた方みたいですね! 実は鈴木さんの父親は元社会人サッカーの選手でお兄さんFC東京強化部長を務めていたほどのサッカー一家に生まれていた 鈴木徳昭さんは慶応義塾大学卒業後は日産自動車に入社し、そこでもサッカー部に携わってGMのような業務を務める運営強化担当という役職についていたそうです。 それが1993年までのことだったみたいですが、日産自動車のサッカー部は1993年から今のJリーグの横浜マリノスに変わっているのでJリーグ発足を予言していた鈴木徳昭さんは当時運命を感じたでしょうね! 93年からはJリーグを運営する日本サッカー協会で要職を務めていたので、もう日本のサッカーを裏で支えてきたと言っても過言ではないでしょう・・・ 本人の手腕が凄いのはもちろんですが、サッカー一家という事もあって人脈もかなりあるでしょうが・・・ それらを生かし、日本代表のオフト監督の通訳や東京オリンピック誘致のPR担当など日本のスポーツ運営の要職を務め続けています。 鈴木徳昭さんの現在の仕事はサッカー協会で事務局次長(もしくはもっと上)のポストについており、今でもJリーグの発展に心血を注いでいるようです。 ※現在は、2020年東京五輪招致委員会・戦略広報部長という役職です。 以下のようなインタビュー記事がありました。 鈴木徳昭さん【拡大】 2020年の東京五輪招致を目指す日本。最終候補地のマドリード(スペイン)、イスタンブール(トルコ)と最後の争いを演じているが、弱点とされるのが国内の支持率だ。来年1月以降には国際オリンピック委員会(IOC)による支持率調査も予定されている。東京招致委員会の鈴木徳昭・戦略広報部長(50)に聞いた。 (聞き手・久保武司)…