猛烈にジャンクフードが食べたいマコです・・・

今日の逆転人生「認知症の親が鉄道事故に 社会を動かした逆転裁判」
2020年6月1日(月) 22時00分~22時45分では、認知症の人が事故にあった時、家族の責任はどうなるのか?

目を離した隙に外出し、電車にはねられた認知症の父。遺族と鉄道会社は、振り替え輸送費などの賠償をめぐり裁判に・・・を放送します。

「認知症の人や家族が抱えるリスクを社会全体で支えよう」という認識を広げた裁判があります。高井隆一さんは家族で協力し、認知症の父親を在宅介護していました。

しかし目を離した隙に外出し、鉄道事故に。振り替え輸送費など鉄道会社への賠償をめぐって裁判になりました。

1審では「高井さんらが監督義務者にあたる」「介護に過失があった」などとして敗訴。介護現場に動揺が広がっが、その後の裁判で最高裁まで争い逆転勝訴し、社会に影響を与えました。

 

以上が本日の放送内容ですが、どのような経緯で逆転できたのでしょうか。
それをたどってみたいと思います。

 

もし家族に介護が必要になったらどうしますか?
大切な家族・・・

もちろん介護したい、元気になってほしいという想いは共通だと思います・・・

しかし、ずっと目を離さずつきっきりというのは難しい場合もあるもの
この判決は、どのような結果になったのでしょうか。

 

JR東海との裁判、認知症の父を介護していた逆転人生出演の高井隆一さんの講演は? photo 2

現在の高井隆一さん講演会や活動は?「JR東海 認知症事故裁判の大きな成果とは」

 


講演する高井隆一さん

最初のセミナーでは、2007年に愛知県のJR東海道本線の駅で認知症の男性(当時91歳)が列車にはねられて死亡した事故をめぐり、JR東海が家族(遺族)に損害賠償を求めた裁判で当事者となった男性の長男・高井隆一さんが、父の介護の状況や最高裁判決がもたらしたものについて語った。報道で匿名を貫いていた高井さんは16年3月の逆転勝訴判決の3カ月後、京都で「認知症の人と家族の会」の招きで講演して以降、氏名を公表し始めた。

 

「事故当時、私は東京で仕事をしており、動転した妻からの要領を得ない一報で駆け付けた。父は家族が少しまどろんだ間に外出し、自宅の最寄り駅の隣駅のホームの端にある施錠されていない階段扉を開けて線路に降り立っていたところ、事故に遭った。現場の状況からも、父は恐らくトイレを探していたのだろうと推測される。だがなぜ、所持金もないのに改札口を通って電車に乗り、隣駅に行けたのかは、今もってわからない」

認知症の家族介護をしている人ってわりと多い印象です。

今まで私も何名かあったことがあります。
ひとりで外に出られ、行動力もあるのでいなくなってしまうこともある・・・

そうなると、家族は必死で探しますよね。
しかし、見つけられたらいいのですが、なかなかそうもいかない場面も見てきました。

■事故当日まで家族総動員で認知症の父を介護してきた

 

高井さんの父が認知症を発症したのは母と二人暮らしていた2000年末、84歳の時だった。1年数カ月後から妻が介護に参加、高井さん本人も週末応援に入る家族総動員体制が始まった。その年の夏、父が骨折。入院を機に症状が急激に進んだ。退院直後は要介護度1だったが、2カ月で要介護度2に。その時は専門医を指定して受診したが、2年後の04年2月、近所のかかりつけの内科医に転医した。

父の一人歩きが始まった当初、家族は戸惑った。行かないよう説得したり、警察に相談したり、睡眠薬やGPSを使ったり……。家を施錠したこともあったが、父は「監禁された」と怒り、大失敗に終わったという。試行錯誤を経て家族は、父の症状が近隣に広まることも仕方ないと割り切り、自由に行動させることを決めた。

「父の外出願望は不安の表れだったと思う。よく『ここはどこだ?』と聞いていた」

認知症の中核症状の一つに見当識障害がある。時間や季節、今いる場所、人がわからなくなるといった障害のことだ。わからないことは人を不安にさせる。おぼろげな記憶を頼りに慣れ親しんだ場所に帰ろうと、かつて実家があった場所や勤めていた職場などへ行こうと歩き出したものの、道中の景色も道も記憶の中のものからは変わってしまっている。そこで混乱し、さらに不安になり、立ち止まってしまう……。

JR東海との裁判、認知症の父を介護していた逆転人生出演の高井隆一さんの講演は? photo 1

「万一に備えて衣服やくつに名前と連絡先を記入したが、本人は嫌がらなかった。妻はできる時はいつも、外出する父の後を気づかれないようについていき、途方に暮れたように立ち止まったら、偶然を装って声を掛けた。一人で出かけた父が帰らなかったことは、事故の日まで一度もなかった」

年末に事故が起こった07年2月の要介護度は4。家族の介護生活は足掛け7年に及んでいた。「事故直後から妻は『ちょっと目を離した時に……』とひどく自分を責めていた。半年後、JR東海から配達記録付封書で請求書が届き、妻の苦しみはさらに深まった」

気の毒な話です・・・
ずっと見ていることなど不可能に近いのですから・・・

■賠償請求で鉄道会社が提訴、一審と二審の判決は?

 

JR東海からの請求書が届いたのが08年5月。翌月、求めに応じて高井さんが提出した父の診断書に対する回答は12月、配達証明付き内容証明郵便で届いた。

「死亡して半年後の日付の、専門医ではなく内科医の診断書は信用できない」と、約720万円の損害賠償金の全額支払い請求と14日以内に支払わなければ提訴するという内容だった。そして10年2月、JR東海は法定相続人全員(5人)を相手取り提訴した。

 

13年7月、一審の名古屋地裁判決は、法定相続人のうち母と高井さんの2人に全額支払いを命じる全面敗訴だった。高井さんは「このような判決を導き出した論理が堂々と通れば、家族は認知症の人を閉じ込めておくしかなくなる。介護に携われば携わるほど何らかの被害が生じた場合、携わった人が責任を負わされることになる。この判例を前例として残すわけにはいかない」と、ただちに控訴を決断した。

ほとんど報道されなかった一審判決後、問題意識を持ったメディアの取材と報道が増え、「認知症の人と家族の会」が見解を公表し、厚労省OBが意見書を作成するなど、多数の“援軍”が現れてきた。14年4月の名古屋高裁の控訴審判決は、高井さんの責任を問わず、母だけに2分の1の約360万円の賠償責任を認めるものだった。法曹界からは「知恵を絞った良い判決」という論評が出たが、高井さんの思いは複雑だった。なぜなら「介護に携わった人が責任を問われる」枠組み自体は揺らいでいないからだ。上告すべきかどうか結論を出せないままにいた5月、JR東海が先に上告し、裁判の舞台は最高裁に移った。

 

■逆転勝訴の最高裁判決で「安心して介護できる環境が整った」

 

16年3月の最高裁判決は、一審と二審を覆す逆転勝訴となった。最高裁は「家族に賠償責任があるかは生活状況などを総合的に考慮して決めるべき」との判断を示し、その上で「今回は家族に賠償責任はない」と結論づけた。裁判官5人全員一致の判断だった。

高井さんは「明治以来、民法は被害者救済を第一に据え、第三者に被害を与えれば、被害を与えた側の責任が問われるのが当然とされてきた。今回の最高裁の判断は、その流れを変える画期的なもの。民法上の監督責任を劇的に変え、基本的に地域で安心して介護できる法的な環境が整ったと思う」と話した。

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