逆転人生のベンチャーウイスキー、肥土伊知郎社長とは?生年月日や経歴は?

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こんにちは、緊急事態宣言がようやく解除されそうです。
この数カ月、本当に大変でしたね。
子供も学校にいけない、お店も閉まっている、遊びにいけない、公園の遊具さえも遊べなくされていました。
そして、子供たちが楽しみにしている花火大会や祭りが全国規模で中止となっています。

やばいぞコロナ!平和な日常を返せ!

と叫びたい気分ですが、学校が始まり私の気持ちも落ち着いてきました。
一切ブログを書く気にもなりませんでした。
本当に心が落ち込んでいたようです。

さて、本日の逆転人生は、「親子2代の夢を実現 世界が認めたウイスキー」
2020年5月25日(月) 22時00分~22時45分の放送内容はどのようなものでしょうか。

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5月25日逆転人生の番組内容

秩父の小さな蒸留所でウイスキーの製造を手がける肥土伊知郎さんが主人公です。
3年連続で世界最高賞ウイスキーセットが約1億円で落札されるなど世界から注目を集め、実家は日本酒の酒蔵です。
父は洋酒ブームに触発され、ウイスキーの製造も始めますがその後、人気が低迷し消費量が激減。父はウイスキーを諦めてしいます。
一方、伊知郎さんは父の原酒に可能性を感じ、反発しあう・・・
息子の反骨心と執念が、奇跡の大逆転を呼び込む。
とのことです。
いつも思いますが、あきらめない姿勢こそが大切なのでしょうか。

それとも、ダメだと思ったらあきらめて他の道に進むのが大切なのでしょうか・・・

ベンチャーウイスキー、肥土伊知郎社長のプロフィール生年月日や経歴は

 

1965年、江戸時代から続く日本酒の蔵元の21代目として秩父市で生まれる。祖父は羽生蒸溜所を運営していた東亜酒造の設立者でありです。
家業を継ぐ意思はなかったが、自分の希望していた大学には受からなかった一方で父の勧めで受けた東京農業大学に合格し、入学して醸造学を専攻しました。
大学卒業後はサントリーに入社する
とのことで、当時家業を継がないつまりだったのに継ぐことになったのですね。

人生って本当に何があるかわかりませんね。

埼玉県秩父市に蒸留所を持つ「株式会社ベンチャーウイスキー」とは

世界が注目するウイスキー「イチローズ・モルト」の生みの親である肥土伊知郎社長は、酒屋を営む家庭に生まれ、大学卒業後はサントリーで企画や営業を経験し、父の会社へ
しかし会社の経営難により、20年間育てたウイスキーが廃棄の危機に。 そこで彼は自身の会社を立ち上げ、世界にファンを持つ「イチローズ・モルト」が生まれる。

 

以下、インタビュー記事がありましたので、掲載します。

造り酒屋の家に生まれたので、酒造りは身近で、空気のような存在でした。
好奇心旺盛な子どもで、面白いと思うと2年くらいのめり込み、色々な知識をつけていました。
遊びを通じた経験が、仕事をする上でも役に立っている部分があります。
大学受験で自分の希望していた大学には受からず、父の勧めで受けた東京農大農学部醸造学科に合格し、入学。
自分では「継がない」「別の道を見つけるんだ」と言いながらも、親の敷いたレールの上を走っていたような気もします。
「ものづくりをしたい」という想い
大学卒業後、サントリーさんにお世話になりました。
ウイスキーづくりをしたかったのですが、当時技術職は院卒以上の採用でしたので、企画や営業をしました。
最初は大変でしたが、工夫して企画を立て、業績表彰をいただくこともできました。
充実していたものの、徐々に「本当はものづくりをしたかった」という想いが沸き上がってきて。
その時に父から「会社の業績も思わしくないし、戻って手伝ってくれないか」と言われ、酒造りができるかもしれないと思い、父の会社に戻ったのです。
ウイスキーという仕事の面白さに目覚めたのはその頃ですね。

仕事の面白さに目覚めたということですが、その間にも様々な紆余曲折があったことでしょう。

 

父の会社のウイスキーは「面白い」
父の会社は日本酒や焼酎がメインで、ウイスキーも作っていたのですが、「うちのウイスキーは飲みづらくてあまり評判が良くないんです」と作っている本人たちが言っていました。
原酒を飲んでみると、「変わっているな。でも面白いな」と思ったんです。
ただ、世の中の人に受け入れられる味なのかと思い、どうせならウイスキーバーで、ウイスキーに詳しいマスターに味を見てもらうのが良いと考えました。
飲んでもらうと好感触で、ウイスキーとして評価してくれる人がいると気づいたのです。
何軒もバーを歩く中で、ウイスキーはそれぞれ全く味が違い、飲み比べる楽しさがあると気づき、勉強しました。
当時ウイスキーの市場はどんどん縮小している時代でしたが、面白いと感じていました。
ところが、父の会社は量販がメインだったので、次第にウイスキーばかりに力を注げなくなりました。
ウイスキーを守るため、独立を決意
想像以上に会社の経営状態が良くなく、2000年に民事再生法を申請して実質倒産。
本当にどん底でした。
自分がどんなに頑張っても解決できないことがあり、考えてもどうしようもないので、考えるのをやめました。
自分の力が及ぶところに集中すると、大きな力が出る。
困難な時期を乗り越えることができたのは、そういう考え方をできるようになったからだと思います。

なんと2000年に民事再生法を申請しているのですね。

そこから巻き返しがすごい!

あの時の苦労を考えれば、大抵のことは乗り越えられるような経験でした。
2004年に父が会社を手放す決断をし、人手に渡ることになりました。
ただオーナーさんは、ウイスキーは熟成に時間がかかり、何年間も大量に貯蔵庫で保管しないといけない、売れていないという三重苦を抱え、期限を決めて原酒を廃棄し撤退するとおっしゃった。
中には20年近く熟成させた、まるで二十歳目前の我が子のようなお酒があり、それを廃棄するなんて、とても我慢できませんでした。
そこで、自分が独立させていただいて、それを世の中に出す仕事をしようと決めました。
そこからは自分の選択です。
多くの人の協力・応援・支えを得て
ウイスキーの保管場所を求め色々なところにご相談しましたが、門前払いされ続けました。
そんな中、笹の川酒造さんに相談すると、「そんな貴重な原酒を廃棄するなんて業界の損失だ。もって来なさい」と言ってくださったんです。
廃棄目前のウイスキーたちが救われました。
この時はウイスキーの製造免許がないので、お酒の企画会社として会社を立ち上げ、笹の川さんの敷地でウイスキーを製品化し始めました。
ただ、売っているだけではいつかウイスキーが無くなってしまう。
ウイスキービジネスは先輩が造ったものを売らせてもらい、自分が造ったものを将来の財産として引き継いでいくものです。
自分もまたウイスキーづくりを始めなければという想いで、秩父蒸溜所立ち上げを決意し、バーのマスターにもその夢を語りました。
「応援しますよ」「ウイスキーができたらうちにも置きますよ」と言ってくださり、それがモチベーションになって、頑張れます。

とのことです。

苦労も多かったことと思いますが、そこからいかに自立するか・・・

もういいやって思わずあきらめないことも大切なのですね。

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