槇原敬之、覚醒剤所持疑いで逮捕?経歴や曲は?どんなときも、もう恋なんてしない

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槇原敬之さんが!

警視庁組織犯罪対策5課は13日、覚せい剤取締法違反(所持)と医薬品医療機器法違反(所持)の疑いで、歌手の槇原敬之容疑者(50)を逮捕した。
「どんなときも。」「もう恋なんてしない」など数々のヒット曲をもつ槇原容疑者。日本テレビの情報バラエティー番組「ヒルナンデス!」(月~金曜前11・55)のオープニング、エンディングテーマ曲で。「昼 昼 昼なんです」のフレーズが印象的な、「LUNCH TIME WARS」も手掛けており、ファンからは「明日のヒルナンデスのテーマ曲どうなるんだろう?」「ヒルナンデスのオープニングどうなっちゃうのかな。使えるの?」「無音スタート?」と心配の声が挙がった。

また、テレビ朝日「じゅん散歩」(月~金曜前9・55)のテーマ曲「一歩一会」も槇原が作詞作曲を担当しており、こちらも影響が心配される。

槇原容疑者は昨年10月にデビュー30周年を迎え、カバーベストアルバム「The Best of Listen To The Music」をリリース。今年3月4日には他アーティストへの提供楽曲をセルフカバーしたアルバム「Bespoke」をリリース予定で、テレビやラジオ番組に出演して精力的にプロモーションを行っていた。

1999年に逮捕のときは、CDが販売中止になるなど大きな騒ぎになりました。
執行猶予期間も過ぎている今回はいったいどうなるのでしょう。

この投稿の後に逮捕されたということでしょうか。
こんなにも楽しそうなのに・・・

仲間も多く充実した毎日を送っているようだったのに残念です。

一度手を出すとやはりやめられないのでしょうか。

前述の覚醒剤事件の公判で検事が「私もあなたのCDをいくつか持っています。聞くと元気が出ますよね」と発言し話題となり、のちに槇原は「僕もびっくりした。しっかりと受け止めて頑張ろうと思った」と述べている。

楽曲制作に対し覚せい剤事件前は「人の手はいらない」との感覚に陥っていたといい、警察の留置所での自殺予防のため、手紙を書くとき以外は自由に鉛筆を持つことも許されない環境の中で、毎日「何が正しいことか、何が間違っていたか」を考え続け、新たな出会いや、両親や周囲の人間の気持ちを考えたことなどがきっかけで心境に変化が訪れた。これについて槇原自身は「ここまで人の気持ちに触れようと思ったことって、それまでなかったんですね。あの事件があったおかげで『僕は僕だけで生きてるんじゃない』『僕の歌を本当に聴いてほしい人に歌が届いてない』ということに気がついて。そこでまた、曲作りにボッと火がついた。これからは、サウンドとかじゃなくて、何が言いたいか、だって。それから、また曲作りが楽しくなりました」と述べている

 2度目は「復活」はないかもしれない──歌手の槇原敬之10+ 件容疑者(50)が覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで警視庁に逮捕された。一報を受け、さっそく関係者の間には動揺が広がっている。
槇原容疑者は、1999年8月にも自宅で覚醒剤を所持していたとして現行犯逮捕されている。懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を受け、その後活動を再開。2007年には紅白歌合戦に出場したり、数々のアーティストに楽曲を提供するなど、アーティストとして完全に復帰したかに見えた。
それだけに今回の逮捕は、多くの波紋を広げそうだ。直近では、木村拓哉のニューアルバム『Go with the Flow』に「UNIQUE」という楽曲を提供。1月には一緒にラジオに出てプロモーションしていた。
「木村さんはそのアルバムをひっさげて、まさにライブツアー中。2月8~11日の東京公演でも槇原容疑者から提供された曲を歌っていました。とてもいい曲だし、楽曲には罪はありません。ですが、来週の大阪公演でも歌われるのかどうか……」(芸能関係者)
槇原容疑者は最近では、ホクレン農業協同組合連合会が作成してネットで話題になったオリジナルアニメ『from North Field _episode1』でも主題歌を担当。他にも多くの新進ミュージシャンをサポートするなど、音楽業界では幅広く活躍していた。1999年の逮捕時には、直後に予定されていたライブツアーの中止やレギュラー番組の打ち切り、さらにはCD回収といった動きがあったが、今回の逮捕の影響がどこまで広がるか、現時点では未知数だ。

初犯では、逮捕により違約金などで一時期7億円もの借金を抱えたと報じられていた槇原容疑者。当時、「多くの方達に取り返しのつかないご迷惑をかけてしまい、お詫びする気持ちをどう表現してよいかわかりません」と謝罪したが、薬物の誘惑からは逃れられなかったようだ。

 

槇原敬之さん経歴まとめ

1990年 – 1999年
1990年10月25日にシングル「NG」とアルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』でWEAミュージック(後にワーナーミュージック・ジャパンに併合)よりデビュー。
1991年6月10日、3thシングル「どんなときも。」をリリース。同曲は、映画『就職戦線異状なし』主題歌、ケンタッキーフライドチキンのCMソングに選ばれるなど話題となり[3]、シングル、アルバム通じて自身初のミリオンセラーとなった。これらの活躍により、同年の第42回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、翌年の春の選抜高校野球入場行進曲にも選ばれた。
1992年6月25日、3rdアルバム『君は僕の宝物』をリリース。槇原の代表曲となる「遠く遠く」等を収録しており、アルバムで初のミリオンを達成。
1994年11月25日、翌年4月まで全国30カ所56公演に及ぶ自身最大規模のコンサートツアー「WELCOME TO MY PHARMACY」がスタートし、約15万人を動員。同ツアー終了後、喉にポリープが発覚し、入院。
1996年、所属レコードレーベルのワーナー内にプライベートレーベル「River Way」を立ち上げ、7月25日に同プライベートレーベルより全曲ネイティブ・スピーカーによる英語詞のアルバム『ver.1.0E LOVE LETTER FROM THE DIGITAL COWBOY』発売。同アルバム発売直前に発売されたシングル「COWBOY」のPVはイギリスのデザイン集団Me Companyが制作、CGを駆使したアニメーション作品が話題を呼ぶ。
1997年にソニー・ミュージックエンタテインメントに移籍。5月10日に初のベストアルバム『“SMILING” 〜THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA〜』発売。オリコン1位を記録し、190万枚のセールスを記録。12月、『“SMILING” 〜THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA〜』が、日本ゴールドディスク大賞の“ポップス部門”を受賞。
1998年3月、『“SMILING” 〜THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA〜』が、第12回ゴールドディスク大賞 ベスト・ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞[11]。4月15日に初のアリーナツアー「GEORGIA PRESENTS 槇原敬之 CONCERT TOUR ’98“It’s a LOVELY PLACE !”~春だ!桜だ!マキハラ君祭り!!~」がスタート。4月30日まで全国5カ所、7公演を行った。
覚醒剤所持による逮捕
1999年8月26日、覚醒剤所持が発覚。情報を得て内偵中だった警視庁本富士警察署の捜索を受けた際、自宅から発見され、覚せい剤取締法違反(所持)現行犯で10年来の友人の奥村秀一[注釈 2]と共に逮捕された[13]。本人がファンや関係者に向けて「多くの方達に取り返しのつかないご迷惑をかけてしまい、お詫びする気持ちをどう表現して良いかわかりません。潔く罪を認め、いかなる処分も受けなければならないと思っております」とコメントし、謝罪した[14]。
9月3日にはMDMA所持が発覚した。これらの薬物は槇原・奥村の共通の知人から入手したものだった。槇原の逮捕により、9月から予定されていたコンサートツアーの中止やレギュラーラジオ番組の打ち切り、CDが発売元のレコード会社によって店頭から回収される動きがあり[15]、このときファンが買いに走ったために、過去の作品の売上が伸びるという現象が起こった[16]。また、この逮捕により一時期は7億円もの借金を抱えた[13]。9月9日に300万円の保釈金によって保釈され[17]、12月8日に 懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。同日に本人は「寛大な判決が下りました今も、法を犯すことの重大さを痛感いたしております。今後は、絶対にこの様な事を起こさないことを、堅くお約束いたします」とコメントし、それ以降スタッフなどと今後についての協議を行った。

 

2000年 – 2010年
2000年に以前所属していたワーナーミュージック・ジャパンに復帰移籍し、11月にリリースした10thアルバム『太陽』で活動再開。
2003年、自身が作詞・作曲し、SMAPに提供した「世界に一つだけの花」が売上200万枚以上を記録。その後も伸び続け、2016年のSMAP解散に伴い300万枚を突破した[19]。このヒットを受け、翌年の春の選抜高校野球入場行進曲に選ばれる。
2004年、レコード会社をEMIミュージック・ジャパンに移籍。8月、移籍後初のオリジナル・アルバム『EXPLORER』とベスト・アルバム『Completely Recorded』が発売され、両方とも50万枚を突破。『EXPLORER』は初登場1位を記録。『Completely Recorded』は初登場2位だったが、売り上げは『EXPLORER』よりも伸ばした。9月にはアルバム総売上枚数が1,000万枚を突破し、男性ソロ歌手としては井上陽水、長渕剛に次いで3人目であり、初チャートインから13年2ヶ月での達成は史上最速記録となった。
2006年2月22日に14thアルバム『LIFE IN DOWNTOWN』を発売。同作の売り上げで、アルバム総売上枚数が井上陽水を抜き、男性ソロ歴代1位となる。
2007年にレコード会社をエイベックス(レーベルはJ-more)に移籍。12月31日、8月にリリースした36枚目のシングル「GREEN DAYS」で16年ぶりに第58回NHK紅白歌合戦に出場。
2010年1月1日、デビュー20周年を記念したベスト・アルバム『Noriyuki Makihara 20th Anniversary Best LOVE』と『Noriyuki Makihara 20th Anniversary Best LIFE』の2枚を同時リリース。10月にデビュー20周年記念ライブとなる「NORIYUKI MAKIHARA SYMPHONY ORCHESTRA CONCERT “cELEBRATION 2010″〜Sing Out Gleefully!〜Supported by BEAMS」を大阪城ホールと日本武道館にて開催。11月29日に独自レーベルであるBuppuレーベルを立ち上げ、J-moreからBuppuレーベルへ移籍[4]。インディーズでの楽曲リリースとなる。
2011年 – 現在
2011年3月11日にBuppuレーベル第一弾シングル「林檎の花」、7月27日にBuppuレーベル第一弾アルバム『Heart to Heart』をリリース。
2012年2月3日 – 毎週金曜更新のインターネットラジオ「槇原敬之の神宮前ヴェランダスタジオ」放送開始。9月19日にワーナー初期のアルバムを集めた7枚組BOX『EARLY 7 ALBUMS』発売。11月14日にコンピレーションアルバム『秋うた、冬うた。〜もう恋なんてしない』発売し、ワーナー時代の全オリジナルアルバムがリマスターされ再発。
2019年2月13日に22ndアルバム『Design & Reason』を発売。
2019年4月26日に放送されたテレビ朝日系『ミュージックステーション』(この日が平成最後の放送)で「世界に一つだけの花」を披露[20]。10月23日、デビュー30周年プロジェクト第1弾となるカバー・ベスト・アルバム『The Best of Listen To The Music』をリリース

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