激レアさんの初代ウルトラマンのスーツアクターは?古谷敏の経歴や現在、身長は?

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2020年2月15日(土) 22時10分~23時10分の、激レアさんを連れてきたで、本当は嫌々中に入っていた初代ウルトラマンのスーツアクターで、
ウルトラマンの動作から必殺技までその場のアドリブで作り出した人
古谷敏はどんな人?

1966年~2018年の現在に至るまで、円谷プロダクションで生み出されたウルトラマンシリーズには45人のウルトラマンがいる。今も子どもも大人も、多くの人達に愛され続けている。

約52年前シリーズの原点となった伝説の初代ウルトラマンとウルトラセブンをスーツの中で演じていたのは、古谷敏という俳優であるとの話ですが、一体どのような人でしょうか。

乗り気でなかったスーツアクター古谷「僕はメロドラマ映画の主演を目指していた」

――東宝に入られた当時、スーツアクターという仕事の立ち位置を教えてください。
古谷敏僕が東宝に入った昭和35年(1960年)、まだスーツアクターなんて言葉はなくて、「ぬいぐるみ役者」という言葉でくくられていた時代です。――古谷さんは当初、俳優として活躍されていました。
古谷敏僕自身はメロドラマの映画に出演することを目指していたから、特撮は別世界と思っていました。そんな時に円谷プロができました。円谷プロ初の特撮番組『ウルトラ Q』で、ケムール人(※『ウルトラQ』に登場する架空の宇宙人)を演じる俳優を探していた。それで、背が高くて痩せていて、スケジュール的にも余裕があるヤツはいないかと…、それが僕だったんです。――スーツアクターになるのは、あまり乗り気ではなかった感じですか?
古谷敏そうですね(笑)。最初はケムール人っていうのが何か分からなくて、衣裳合わせに行ってスーツを着られるのかと思ったら、スーツはぬいぐるみのことだった(笑)。「着ぐるみに入るために東宝を目指したわけじゃない」と断ったら、「1回だけでも入ってくれ」と言われ、そんな押し問答をして入ったわけです。

――それがスーツアクターの原点なんですね。当時の円谷プロの印象はいかがですか?
古谷敏当時の円谷プロは設備的にも不十分で、東宝の間借り状態でした。でも、若い人も多かったし、雰囲気としては「新しいものを作ろう」という熱意は感じられましたね。ただ、制作する体制については東宝とは雲泥の差がありました。スーツに着替える場所もなければ控室もない。撮影中に休憩する椅子もない有様でした。

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当時まったくイメージのないところから新しく作り上げ、子ども達が憧れるかっこいいウルトラマンを演じるにはたくさんの努力が必要だった。有名な攻撃技「スペシウム光線」も彼の努力の賜物だという。

 

古谷敏の抜擢理由は身長の高さとスタイルのよさ!身長は何cm?

1966年当初、古谷が23歳の時にウルトラQで誘拐怪獣ケムール人と海底原人ラゴンの中に入った時、高い身長、手足がスラリと長く、スタイル抜群。スーツの中で演じている彼の姿を見て、次にやるウルトラマンのイメージとちょうど合うという理由で、成田亨から古谷に声がかかったそうです。

成田亨はウルトラマンやカネゴンなど、多くのヒーローや怪獣たちその他メカニックを作り上げたデザイナーである。

身長については、はっきりした情報がなく諸説あり。高いといってもどのくらい高いのかと調べてみると、180cm、185cm、あたりと言われています。

身長高い!スタイル抜群だったのでしょうね。

ウルトラマンのスーツは、石膏で自分とぴったりになるように作ってもらっていたので、代わりの人に入ってもらうことが出来なかった、なぜならどうしてもチャックが閉まらないのだという・・・
病気の時でも代役はおらず、撮影を止めないために仕事に出るのが苦しかったそうです。

それでも彼は必死に撮影を続けた。自分にぴったりなスーツを着た彼の姿をみると、ウルトラマンの中でも高い身長、手足の長さが良くわかる。古谷敏のスタイルの良さがウルトラマンスーツの中からでも表れている。

「スペシウム光線」の生みの親でもあるらしい

古谷敏が演じた初代ウルトラマンの時には、まだウルトラマンのポーズの見本が無かった。攻撃のビームをどこから出すのか、手から出すならば指先から出すのか、それとも手のひらから出すのか、腕から出すのか。

手の角度はどうするのかなど、まったく一から考えないとならない。彼は撮影が済んで自宅に帰ると、三面鏡の前でスペシウム光線のポーズを毎日何百回も練習した。光線を描く担当者と相談し、右腕を縦にして光線を出すことにした。

しかし、一つの腕だけではどうもブレてしまう。ブレると当時の技術ではうまく合成するのが難しかったので、左手も試しに添えてみた。すると、ちょうど良い具合にブレがおさまった。こうしてスペシウム光線のポーズが完成したのであった。

 

想像以上に過酷な撮影の連続であったが、彼はこども達の夢を背負い、諦めずに戦い続けた。

古谷敏は元々普通のドラマ俳優を目指していた

東宝専属の俳優としてデビューして4年目、メロドラマの俳優を目指していた古谷敏はウルトラマンのスーツアクターに抜擢された。
顔を出さないうえに、セリフまでもないので、目指していた俳優とかけ離れた役どころに、彼はその話を断ったそうです。

しかし、ウルトラマンのスタッフも、何度も声をかけ続けて諦めなかった。迷っていた古谷に祖母が言った一言が背中を押した。「そんなに求めてくださるなら、やった方が良い。」そして彼は、ウルトラマンの中で演じ始めた。

いざウルトラマンの中で撮影を始めてみると、想像以上に過酷だった。当時の彼は、スタントマンの経験も小手も習ったこともなく、まったくの初心者だった。

 

慣れない動きをするのにも、ゴム製のスーツは厳しいものがあった。マスクの息苦しさに加え、視界が狭く見えにくい、そのうえ耳までも聞こえが悪い。

リハーサルなしで戦う怪獣とのシーンは、生傷が絶えない。お互いスーツで遠近感が分からず、力加減を誤るとセットを壊してしまったり相手に強く当たってしまうこともある。また、相手によっては本気で殴ってくる怪獣もいるのだ。

スーツを着ているだけでも暑いのに、さらに激しく動くと体中の汗が止まらない。ビキニパンツ一枚しか中は履いておらず、足元のブーツに汗がそのままつたって、ブーツにたまっていく。一回の撮影で体重が3キロも減るほど、過酷な撮影だった。

『ウルトラセブン』ではアマギ隊員として活躍

ウルトラマンが終わった時には、所属していた東宝の契約が切れてしまっていた。しかし俳優をその後もなんとか続けていかなければならない。

思っていた矢先、ウルトラマンを見ていた子ども達やその母親たちから局に、「古谷敏さんをウルトラセブンに出してほしい」と連絡が入った。ファン達の声かけがあり、ウルトラセブンでは俳優として顔を出させてもらえるようになったのだ。

ウルトラマンを見ている子ども達に愛されて、彼は俳優『アマギ隊員』として、ウルトラセブンでもさらに夢をあたえた。

『ウルトラセブン』でのスーツ姿スタイルは抜群!

身長180cm以上ある古谷敏は、ウルトラマンのスーツを着ていてもスタイルが良いのが良くわかる。他のウルトラマンと比べてみても、身長が高い。面長な顔とすらりと伸びた手足、攻撃技の一つ一つのポーズもかっこよく見える。

監督からウルトラマンの戦うポーズがファイティングポーズは嫌だ、という要望に応えるべく考え出したのは前かがみのポーズ。古谷敏が大好きなジェームス・ディーンの姿をイメージして出来上がったポーズである。

スタイルが良くなければ、なかなかかっこよく決まることはなさそうだが、スタイルの良さがどのポーズも子どもたちの憧れるかっこよさを引き出してくれる。スタイルの良さに目をつけた成田亨の目に狂いはなかったようだ。

伝説の初代ウルトラマンの苦労時代

『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』を演じた古谷敏は、その後も円谷プロダクションの作品『怪奇大作戦』と『戦え!マイティジャック』にも出演。

その後1968年、俳優業を引退して怪獣アトラクションショーなどのイベント企画運営会社「ビンプロモーション」を設立した。全国を巡業しながら自らの怪獣ショーにてアマギ隊員を演じ続けた。しかしバブル崩壊のあおりで会社が倒産。

23年の歴史に幕を下し、1991年に「ビンプロモーション」は惜しくも解散した。多額の借金をかかえ、返済のために表舞台から姿を消すことになった。

経営するイベント企画会社が倒産!ハロワーク通いも経験!

1991年11月、会社が倒産して多額の借金が残り無一文となった。自ら関係者と連絡を絶ち、表舞台から姿を消した。そのため周りからは「消息不明」として扱われ、「死亡説」まで流れたという。

そんな中、古谷敏は諦めなかった。どうにかして返さなければならない。家族からも心配される中、古谷は考えた末、今まで家族で住んでいた目黒区の4LDKのマンションを引き払い、築数十年経つ3DKの木造アパートに家族で引っ越した。

家具や衣服も売れるものはすべて処分し、お金に替えた。高校受験を控える長女を含む4人で、新しい生活が始まった。とにかくお金を稼がないといけない。古谷はアルバイトで稼ぐことを決心した。

複数の清掃会社で働くことに

生まれて初めて、ハローワークに行った。古谷はビルの清掃会社でアルバイトをすることにした。清掃業は当時3Kと呼ばれる業界で、時給が高かったからだ。

「ウルトラセブンのアマギ隊員と気づかれて、どうせ長続きしないだろう。」と面接で落とされることもあった。とてもショックだったが、古谷は仕事を探すのを諦めなかったという。

さすがの粘り強さ!

複数の掃除会社で仕事ができることになり、朝5時から深夜の11時まで仕事をかけもちして働いた。朝一番にフランス料理の調理場、昼に一般企業、夜は代々木ゼミナールの黒板吹き、ほぼ無休で一日の睡眠時間は4時間ほどだったと言う。
ウルトラマン時代以上に過酷だったのでは・・・

「掃除している横でトイレをわざと汚し、早く掃除しろと言う人もいた。嫌な思いもたくさんした。」と古谷は後に当時のことをこう話す。仕事をそれでもがんばった、家族のためにもお金が必要だった。

実直な仕事ぶりで農水省本館担当の現場所長に

諦めず実直に働き続ける古谷の姿が認められ、最終的には農水省本館担当の現場所長に昇進した。2007年には新聞で「成田亨展覧会」の記事を見つけふらりと会場に顔を出したことで、再び円谷プロダクションの関係者と連絡を取るようになった。

2008年には「ウルトラセブン超百科(CSファミリー劇場)」と映画「ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪」にて俳優復帰をはたす。2009年に自叙伝「ウルトラマンになった男(小学館)」を出版したことで、話題の人になった。

古谷敏は当時の思いをこう話している。「会社が破産した途端、多くの知人・友人が離れていった。そんな時でも妻が支えてくれた。世界一の女房だ。」

また、2009年に出した自叙伝を本館地下の書店さんが応援してくれた。本当にありがたかった。」と、お世話になった人への感謝の気持ちを忘れない。

古谷敏は2011年に芸能界にシニアアクション俳優として復帰!

2011年には映画「地球防衛ガールズP9」にてAKB48の片山陽加さん、SDN48の野呂佳代さん他、と俳優として共演。高い身長、スタイルの良さ健在で、アイドル達に囲まれてもスラリとかっこよい。

2013年には日本国際映画際にて円谷プロダクション創立50周年スペシャルイベントに「ウルトラマン」で共演した黒部進(ハヤタ役)、桜井浩子(フジ・マキコ役)と共に出席した。そのイベントで「ウルトラマン」のブルーレイボックス発売を記念して、古谷敏はウルトラマンに変身した。

円谷プロダクションが制作した「古谷敏専用ウルトラマンスーツ」を着て変身するのは、47年ぶりだった。数々のポージングをすると、当時の共演者たちは感動した。伝説の初代ウルトラマンと呼ばれた「ウルトラマン」本編39本で古谷は戦い抜いたのだ。

当時の撮影現場が朝早くて弁当がまずく、夜も遅くまで撮影していたり、ガソリンと火薬を使った特撮で大火傷をおうスタッフもいて命がけだった、と黒部は思い出を語った。そして、「39本の功労者は古田さん。大変な苦労をされたこの功績は大きい。」と激賞した。

2014年には劇団にんげん座「六区の空の下」で主役を演じた。俳優として努力を続け、苦労を経験しながらもけっして諦めず、ついに主役の座についたのだ。

彼と親しくなった友人たちはこう言う。「からだは大きいのになんとも優しく細かい心遣いをされる人で、誰にでも温かく接するので私の友人たちも等しくその人柄に魅了されている」、「心優しきウルトラマン、ビンさんがんばれ!」と声援をおくる。

古谷敏の現在は?

「古谷敏のOfficial Web Site」を見ると、2015年から現在までの活動記録が書かれていない。その代り、「シンビンプロモーション株式会社」のホームページに、現在の活躍がたくさん書かれている。

2008年に古谷が俳優に復活すると、往年のファンから「ビンプロモーション復活」の要望を多く寄せられるようになった。そして8年間の準備期間を経て、2016年に「シンビンプロモーション株式会社」が誕生した。

ウルトラマンショーをはじめ、トークショー、古谷敏と一緒に行くバス旅など、今もなお多くのファンから愛され、力強く活動を続けている。本人の執筆ブログ「ウルトラの夢。アマギ。」では、今現在の古谷敏の日常が描かれている。

夢は見るだけじゃなくて作るもの

古谷敏は現在もなお高い身長、スラリとした手足のスマートスタイルで、とてもかっこよい。心優しく、努力を忘れず、諦めない気持ち。古谷敏の生き方は、まさに「伝説のウルトラマン」の生き方そのものだった。

想像を絶する苦労の中で、それでも懸命に頑張り続けた古谷の中には、子ども達から愛されるウルトラマンの姿があったに違いない。子ども達が憧れて夢見るウルトラマンは、古谷の心の中にもきっといただろう。

夢は見るだけじゃ叶わない。夢を強く願い、行動に移して作りあげるものなのですね。

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