気になる番組がありました。
実際に観ながら記事を更新していきます^^
世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~SP 「天才日本人職人」
2020年2月2日(日) 22時00分~22時54分の放送を見ながら更新していきます^^
▽世界で大活躍する日本のスゴい職人が続々登場!
2月2日(日)番組内容
- 世界で大絶賛される天才日本人職人スペシャル
- ▽トンガ 南太平洋に浮かぶオセアニアの秘境トンガ王国。
現地で”マサ”と呼ばれているこの男性、実はなんとトンガ国王の就任式における最高位の役職”引受人”に任命されたという!
いったい彼に何が?
そしてトンガ中の尊敬を集めた日本の”あるもの”とは果たして何?▽
リトアニア 旧ソ連の秘境の国リトアニアで、愛する家族を日本に残してまでヨーロッパ最大の日本庭園を造る天才日本人職人に密着。 - ▽イギリス イギリスで”日本の魚料理”を広める魚屋歴20年超の女職人。彼女が勤める魚屋では、新鮮な魚はもちろん、その魚を使って彼女が丹精込めて作る”ある日本料理”が大ヒット!その、イギリス人から超人気の”日本の魚料理”とは?
トンガ王国国王就任式最高位の役職”引受人”に任命されたマサとは?
マサさんとは、川口正徳さんという方でした
川口正徳さんはなぜトンガ王国の廃墟で暮らすことになったのか。1952年に神戸市の漁師の家系の生まれで、1970年代ブームとなった栽培漁業を大学で学んだが、オイルショックの後遺症の就職氷河期に巻き込まれた。しかし受験時代に聞いたラジオ「オールナイトニッポン」から流れた海外ボランティア募集のことを思い出し、すぐさま応募、トンガ王国に飛ぶことになった。
再びトンガに渡り7年、家族のために仕事に没頭した川口さんだが、家族と溝が深まり、突然妻と子が家を出て行ってしまった。心の穴を埋めるかのようにさらに仕事に没頭していたところ、1997年に日本のもずくが大不作となり、翌年川口さんに工場立ち上げの依頼を受けた。するとこのもずく事業が大成功し、外貨を稼ぐ一大産業にまで成長、川口さんも“もずく長者”として名声に浸った。
しかし、もずく産業は日本の企業がトンガに押し寄せたことで共倒れ、工場閉鎖を余儀なくされた。手元には役割を終えた工場と船が残ったが、川口さんは地元の貧しい漁師のために船を貸すようになり、地元に新たな人の輪ができるようになった。
トンガ王国に住んでいる川口正徳さんの生活に密着。ツポウ6世の就任式当日を迎え、会場では新国王への献上品となる豚など準備が進んでいたが、なんと川口さんが袴姿で姿を表した。当日の朝にトンが王室から「引受人」依頼の電話があったといい、再びの晴れ舞台をこなした。「自分の栄光は過去のもの」という思いは本人だけだった。現在の皇太子も、将来は僕もマサに「引受人」をお願いしたいと話した。
トンガ中で愛される日本人、「マサ」こと川口正徳さん。海外ボランティアで関わり、結婚後ももずく工場経営や、漁師に船を貸したりとトンガに貢献。国王・ツポウ5世・6世の戴冠式で「引受人」の役を依頼されるという名誉を得たとのことです。
ヨーロッパ最大の日本庭園を造る天才日本人職人とは?
現在、リトアニアに欧州最大の日本庭園が造園中なのをご存知だろうか。リトアニアの北西部マズーチャイに「歌う石の谷」と呼ばれる原野がある。東京ドーム約3個半に相当する広大な土地だ。この土地に木々を植え、石庭や茶屋、石畳の道、川などを整備するという壮大な計画が進められている。このプロジェクトを手掛けているのが、40年以上の庭造り歴を持つ、職人渡辺一(わたなべ はじめ)さんだ。
「歌う石の谷」の土地はリトアニア人医師のシャルーナス・カスマウスカスさんが所有している。カスマウスカスさんによると、「ジェマイティヤ人と日本の造園家がつくるヨーロッパ最大のユニークな日本庭園」であり、「このプロジェクトは、ジェマイティヤに作品を残したいという思い、夢、愛郷心から生まれました。石の偉大さとこの土地のエネルギーを最大限に活かすために、日本庭園のアイデアが選ばれました」と語っている。(ジェマイティヤはリトアニア北西部のこと)
日本で造園の修行をしていたリトアニア人のつてで、この仕事が渡辺さんのもとに舞い込んだ。2007年から工事を開始したが、リーマンショックで造園への投資が止まり、2008年末に中断。庭園は4分の1しか完成していなかったが、帰国の途へ。しかし、渡辺さんはどうしてもあきらめきれず、この5月に現地に戻り、盆栽や庭園用の苗木を売って得た資金で庭造りを続けていくという。
丹精込めて作る”ある日本料理”超人気の魚料理とは?
ロンドンの、ベルトン由香さん